鎌倉の喧騒を離れ、滑川のほとりに佇む「一条恵観山荘(いちじょうえかんさんそう)」。 京都から移築されたこの美しい山荘を訪れると、まるで時が止まったかのような静謐な空気感に包まれます。

その「変わらぬ美しさ」を支えているのは、日々刻々と変化する樹木たちの生命力と、それを見守る職人の緻密な手入れに他なりません。

本記事では、樹木医の松井裕之が、一条恵観山荘の庭園をプロの視点で歩き、その魅力と管理の極意を紐解きます。

一条恵観山荘の由来 京都から鎌倉へ

元々は京都にあった一条恵観山荘

この建物の始まりは、江戸時代初期に遡ります。一条恵観山荘を作った方は、後陽成天皇の第九皇子で、摂政・関白を二度務めた一条恵観(いちじょう えかん)という方です。

もともとは鎌倉ではなく、現在の京都の醍醐寺付近に、一条家の別邸として建てられました。格式張った儀式のための場所ではなく、和歌や茶の湯を楽しむための「茶屋(別荘)」として設計されました。そのため、皇族の品格を保ちつつも、自由で軽やかな「数寄屋造(すきやづくり)」の意匠が凝らされています。

 *数寄屋造:茶室のスタイルを取り入れた、自由で風流な住宅様式のこと。(反対)書院造(武家のスタイル)

存亡の危機と鎌倉への移築

明治維新以降、多くの公家屋敷が失われていく中で、昭和初期、この貴重な建築が失われることを惜しんだ実業家によって、保存のために京都から遥々、鎌倉へと移されることになりました。

移されたものは、建物だけではありません、庭石や枯山水の石組までもが、一つひとつ京都から運ばれました。単に建物を建てるだけでなく、滑川(なめりがわ)という鎌倉の自然を京都の賀茂川や高野川に見立て、元の醍醐の地にあった風情を再現しようとしたそうです。

昭和39年(1964年)には、その歴史的・建築的価値が認められ、国の重要文化財に指定されました。

一条恵観山荘の庭園の魅力

書院造(格式)×数寄屋造(身軽)の庭園

そんな、一条恵観山荘の庭園の紹介です。

受付を済まし、いよいよ中に入ります。

入口の向こうに見える庭園もいいものです。期待が膨らみます。

新緑のモミジに砂利敷の庭園です。手前に見える苔のついた手水鉢も魅力です。

御幸門をくぐります。

この御幸門は天皇をお迎えするための門で、これも京都からもって来られたもので、再現したものです。

枯山水のお庭。蹲踞が組まれています。手水鉢には蓋がしてある。

左の建物が一条恵観山荘。国指定重要文化財の山荘です。

お庭も建築と同様で、書院造的な「格調高い石組」の要素を持ちつつも、数寄屋的な「身軽さ」が混ざり合って絶妙なバランスにみえる。

枯山水の庭らしく砂利で流れを表現し、石橋が架けられている。

しかし驚くことに、

途中から、みづが湧き出ていて、本当の水が流れているのである!!

凄い遊び心ですね。

流れには、朽ちた幹の梅の枝が障っています。

驚きはまだあります。

自然の川を庭に取り入れる

流れの下には、本物の皮があります。

この川は、滑川(なめりがわ)という川で、京都の賀茂川や高野川に見立ているそうです。元の醍醐の地にあった風情を鎌倉で再現しています。凄い執念。

振り返れば、また驚き。

普通、土留めで来るだろうところに、滝組にしてあります。

通路の途中にあり、飽きさせません。

「江月窓」悟りの「円窓」

茶室が解放されていて、覗いてみると。

「江月窓(こうげつまど)」と、その前の漆塗りの机に映り込む「床出し(ゆかだし)」の風景。丸窓は「悟り」や「満月」の象徴。漆塗りの大きな机が鏡面のよう。外の緑と丸窓が美しく反射しています。室内外の境界を曖昧にし、空間に奥行きと幻想的な雰囲気を与えています。京都の「瑠璃光院」などでも見られる手法。

 *「江月窓」の江月は、滑川と月を意味する。

休憩

何気なく置いてあるベンチ。背もたれにハート。飽きさせません。

休憩です。カフェに行きました。

柿のお菓子です。クリームチーズが入っています。

カフェからの景色です。

新緑にあふれています。

 樹木医 松井裕之

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