御薬園(会津松平氏庭園)|会津歴代藩主が愛した名勝の魅力と見どころ
御薬園(おやくえん)の歴史と会津松平氏との関わり

御薬園(おやくえん)の始まりは、室町時代の中頃会津の蘆名久盛という武将が、霊泉の湧き出したこの場所に別荘を建てたのが始まりと言われている。(蘆名久盛という武将は29歳で亡くなったらしい、、)
江戸時代になり会津藩2代藩主が人々を疫病から救うために薬草園を作りました。3代藩主は朝鮮人参の栽培を薬草園から広めました。「御薬園」の名前の由来になっているという。「御薬園」は薬草の研究所として機能しました。
江戸中期(元禄)になると小堀遠州の流れをくむ目黒浄定という作庭家が築山泉水式庭園として大名庭園として仕上げられました。今は、会津三庭園の1つとして、国の名勝にも指定されている。
戊辰戦争の時には、新政府軍の負傷者の診療所として利用された。そのため、戦火を逃れ今現在も残っている。
薬草植物標本園
薬草植物標本園は薬草の研究所としての名残が残っています。

薬草植物標本園です。12月に行きましたので雪が積もっています。
現在は400種類もの薬草や薬木があるそうです。薬草植物標本園では、こんな感じで各種類の説明があります。

ナツズイセンです。ナツズイセンは、 葉がスイセンに似ており、花が夏に咲くことからこの名がつきましたが、実は、ヒガンバナ科ヒガンバナ属でヒガンバナの仲間です。夏には綺麗な淡いピンク色の美しい花を咲かせます。
樹名板には〈有毒植物〉と書いています。ヒガンバナ科の植物は、古くからリコリンなどのアルカロイド成分を含む薬草として知られています。毒と薬は紙一重ですが、これは腰痛や関節痛に効くらしいです。会津藩の人々も腰が痛いときはナツズイセンの薬を使っていたのかと思うと、この薬草園も楽しく回れます。

それでは庭園の方に行ってみます。
御薬園 会津松平氏庭園
御薬園の地図です。御薬園の場合、池の周囲に薬草園が配置されているのが非常に珍しく、実用性と鑑賞性を融合させた例と言えます。この合理性は会津藩らしいと思いました。

御薬園の見どころ:池泉回遊式庭園と楽寿亭
庭園は大名庭園によくある池泉回遊式庭園です。大きな池(池泉)を中心に園内を歩いて巡り、視点の変化によって多様な景観を楽しむ日本庭園の代表形式です。
築山・島・橋・名石・茶亭・東屋などを配置して、歩くごとに景色が変わる「動的鑑賞」が特徴で、お庭を見に来た人を飽きさせません。
早速、歩いていきましょう、、

女滝から楽寿亭に向かっての眺めです。
雪吊りが風情を際立たせる。冬の東北の庭園風景。来てよかった。

これは女滝です。巨石を使わず緩やかなせせらぎのような滝です。豪快な滝も良いですが、女滝のような滝もいいものですね。

女滝からの眺め。流れがや池の曲線が景観に奥深さを出している。護岸などのい石の配置もなんとも美しい。水の流れもうまく魅せてくれている。雪や雪吊りもムードを盛り上げている。

途中にあった三重塔。一個ものなのか?なんともいい感じ。

亀島に渡る橋。楽寿亭に向かいます。

楽寿亭です。納涼や茶席、密議の際に使われていたそうです。中に入れませんでしたが、この中から見た御薬園の眺めは正に大名級なのでしょう。
この楽寿亭には戊申戦争の時の刀の傷がまだ残っています。こんなお庭の池の真ん中でも死闘が繰り広げられていたのか。

これは男池。先ほどの女池とは違い荒々しい感じで流れが激しいです。水分石が一層流れを引き立てています。

これは朝日神社と言って、ここから霊水が出ていました。朝日保方というお年寄りの旅人が見つけたそうです。この霊水を「鶴ヶ清水」と名前を付けました。

枯滝です。滝の白玉より雪の白色が目立って見落としそうでした。

亀島の護岸に据えられた三尊石です。真ん中が中尊石と言い両脇を脇侍石と言います。この三尊石は、対岸あるいは船の上から見れるように据えてあります。

そのほか、樹齢500年と言われるコウヤマキ。

凄い迫力の松があり、歴史のあるお庭ですので、巨木や古木があるのも御薬園の魅力です。
目黒浄定 庭づくりの見本
最後になりますが、

これは、御薬園を手掛けた庭師である目黒浄定の庭づくりの見本です。水の流れを意識しているのかな?と思います。目黒浄定は絵師でもあったそうです。
(2024年12月に見学)
終わり