鎌倉・瑞泉寺庭園|夢窓疎石が造った岩盤庭園の魅力
禅宗の歴史とはぐくまれた豊かな自然が融合する、名勝・瑞泉寺庭園。 その緻密に計算された美しさは、多くの人々を魅了し続けています。
しかし、庭園の本当の奥深さは、歴史的な背景だけでなく、そこではぐくまれている「樹木や植物の姿」に目を向けることで、さらに鮮明に見えてきます。
本記事では、一般的な観光ガイドとは少し趣向を変え、樹木医のプロの目線から見た瑞泉寺庭園の見どころと魅力を分かりやすくご案内します。
作庭の意図や歴史的価値はもちろん、庭園の景観を今に伝える樹木たちの生命力や見方まで、一歩深く庭園を巡るためのガイドとしてお役立てくださ
瑞泉寺の成り立ち

分かれ道というバス停から20分ほど緩やかな坂を上ってきました。
これが瑞泉寺の総門です。
少し瑞泉寺の説明をします。
始まりは鎌倉末期:「瑞泉院」の建立
鎌倉幕府が滅亡へと向かう時代。1327年、鎌倉幕府の有力な御家人であった二階堂道蘊(にかいどう どううん)という人が、高僧として名高かった夢窓疎石(むそうそせき)を招き、自らの領地に庵を建てたのが始まりです。当初は「瑞泉院」と呼ばれていました。
夢窓疎石はこの静寂な谷戸の景観を非常に気に入り、あの有名な「岩庭」を自ら作庭して禅の修行に励みました。
南北朝〜室町時代:足利(鎌倉公方)家の菩提寺へ、学問の府
鎌倉幕府が滅亡し、時代が南北朝・室町時代には、室町幕府が東国を統治するために置いた「鎌倉府」の長、初代鎌倉公方(かまくらくぼう)の足利基氏(もとうじ)が夢窓疎石に深く帰依したことで、瑞泉院は足利(鎌倉公方)家の菩提寺となりました。この時に規模が拡大され、「瑞泉寺」へと改められます。
この時期の瑞泉寺は、関東十刹(じゅっさつ:禅寺の格付け)の筆頭近くに列せられ、多くの僧侶が集まる学問・文学(五山文学)の中心地として大いに栄えました。
戦国〜江戸時代の衰退と復興
ところが、鎌倉公方足利家と室町幕府との激しい権力闘争の巻き添えを食う形で、瑞泉寺は次第に衰退の途をたどります。 一時は荒廃しかけますが、江戸時代に入ると徳川光圀(水戸黄門)による『新編鎌倉志』の編纂などをきっかけに再び注目され、歴史ある名刹として守り継がれていきました。
瑞泉寺
総門から少し歩くと受付があって、そこからは森の中を歩きます。

少ししんどい階段ですが、神秘的でいい感じです。

山門にたどり着きます。
山門をくぐると、お地蔵さんがおられる地蔵堂があります。

地蔵堂の中です。右下に「どこもく地蔵」と書いています。

これは、「どこも苦」という意味です。
昔、堂守が貧しさゆえに逃げ出そうとした時、この地蔵が堂守の夢枕に立ち、「どこも苦(どこに行っても苦しいよ)」と言ったという伝承がある。
何事も逃げ出さずに頑張りましょう!
夢窓疎石が植えた黄梅(オウバイ)

御本堂に向かうとその前に存在感のある黄梅(オウバイ)があります。夢窓疎石が植えたという伝説のこの黄梅は天然記念物に指定されています。瑞泉寺には黄梅が多く、総門付近の受付あたりから多く植わっている。傷んだ黄梅もたくさんありましたが、支柱を設置したり大切に扱われているようです。
「花の寺」
瑞泉寺は「鎌倉の、花の寺」としても広く親しまれいます。山門を入ると、黄梅をはじめ、スイセン、紫陽花〈あじさい)モミジなど一年を通じて多彩な草花を楽しむことができ、華やかなお庭となっています。
そしていよいよ瑞泉寺庭園です。

瑞泉寺庭園 「花の寺」の別の顔
作庭は修行
いよいよ瑞泉寺庭園。御本堂の前は正に「花の寺」ですが、御本堂の裏に回ると一気に険しい景色になります。

これが瑞泉寺庭園。
自然の地形をそのまま活かし、岩盤を直接削り出すことによって、自然と一体となった空間を造り上げています。
どこからが人工物でどこからが大自然か?その境界が曖昧で、むき出しの岩肌をお庭の景観となっています。
どこからか、造園材料をもってきて、、というのではなく、ただ岩を削るという感じです。夢窓疎石は庭づくり自体が修行の1つと位置付けています。
2つの橋が架けられています。そこから、階段?があって上に上がっていけるようになっています。

山の頂稜部には、夢窓疎石が建てた「徧界一覧亭」という庵があって、そこからは鎌倉の街並みや遠く富士山までを見渡すことができたと伝わっています。
先程の写真から右に首を振ると、

まず、大きな洞窟がが目に入ります。坐禅窟(ざぜんくつ)です。もちろん岩盤を掘って作ったものです。この庭は大自然の懐で過酷な坐禅修行を行うための聖なる空間です。この洞窟で静かに己の心と向き合い(静寂の修行)、山頂の庵に登って雄大な世界の広がりを感じる(開放の修行)という、山全体を一つの修行道場にしています。また、この庭を作ること自体が過酷な修行となっていました。
夢窓疎石の緻密な計算とデザイン

次に、目立つのは池です。写真の右側には滝(大沢口)があり、そこからこの池に水が注ぎこまれています。これは「動」と「静」のコントラストです。高い位置から勢いよく流れ落ちる滝の動きや音と岩肌を綺麗に映し出す静寂の水面の対比です。
夢窓疎石がただ自然に任せてたまたまこのお庭ができたのではありません。緻密な計算のもとに滝口をデザインしたことが証明されています。岩盤には、水が綺麗に流れるように人工的にノミで削ってルートを整えた跡がくっきりと残っており、また、大沢口に水を引き込むことも人工で行っています。
ゴツゴツとした岩肌の隅にあるこの「大沢口」を意識して庭園を眺めると、夢窓疎石が「山の水をどこから入れ、どう池に溜め、どう人の心に響かせるか」を考え抜き、修行のごとく(修行で)岩を削り続けた、、。夢窓疎石がそこにいるようでした。
夢窓疎石「庭を見るのも修行」
庭を作るのは修行と言っていた夢窓疎石は、「自然そのものに良し悪しはなく、それをどう捉えるかは人間の心次第である」と言って、庭を見るのも修行の一環であるとしていました。
華美な装飾や色鮮やかな花木に頼るのではなく、ゴツゴツとした無骨な岩肌と、そこに差し込む光、静かに流れる風や水の音だけを配置する。これによって庭を見る人が自身の「内面」と深く対話できるよう設計されています。
これがいわゆる、のちの室町・東山文化へと繋がっていく「書院石組」の源流となりました。
樹木医 松井裕之の一言
瑞泉寺を訪れた際は、ぜひ足元の花や見上げる紅葉のある「花の寺」の一面、その後ろに鎮座する岩盤の「険しさ」の一面の両方に注目してみてください。 その「明るい緑」と「深い黒」のコントラストがこの瑞泉寺の魅力であり、歴史であると思います。
夢窓疎石の魂と、荒廃の危機も乗り切り700年も守り育ててきた歴代の庭師たちの息づかいを感じて欲しい。