今年8月、私は高知県高知市の五台山にある「竹林寺(ちくりんじ)」を訪れました。

今回は、実際に現地で撮影した写真とともに、竹林寺庭園に隠された作庭の技(鶴亀の意匠)や、「庭造りは単なる癒しの場を作るものではない」という作庭の思想、そして植木屋・樹木医としての視点から見えてくる「庭造りの真髄」を紐解いていきたいと思います。

青空へ向かって美しくそびえる竹林寺の五重塔。
五台山の澄んだ空気が境内を包み込む。

竹林寺の歴史と背景

奈良・平安から続く「仏教の聖地」

竹林寺の歴史は、夢窓疎石が訪れるよりもはるか昔に遡ります。 奈良時代、聖武天皇が「中国の五台山で文殊菩薩に会う」という夢をご覧になり、国内でそれに似た霊山を探すよう高僧・行基(ぎょうき)に命じました。諸国を巡った行基がたどり着いたのが、この高知の五台山です。竹林寺はもともと朝廷の勅願によって開かれた、日本屈指の「仏教の聖地」という重い格式を持ったお寺でした。

平安時代初期(806〜810年)には、弘法大師(空海)もこの地を訪れ、厳しい密教の修行を修めたと伝えられています。このように、竹林寺は古くから僧侶たちが厳しい修行を行ってきた由緒ある一大霊場でした。

夢窓疎石の隠遁と、江戸時代の大改修

鎌倉末期から南北朝時代、政治的喧騒を避けてこの土佐の地に隠遁した名僧・夢窓疎石(むそうそせき)は、竹林寺を拠点に深く修行を重ねました。その際、疎石は自然の山容をそのまま取り入れた庭の礎を築いたとされています。

その後、江戸時代には土佐藩主・山内家の手厚い庇護を受け、文化年間(1816年頃)の大改修の際に書院の増築と庭園の再整備が一体的に行われ、現在の姿へと受け継がれてきました。

江戸時代初期に作られたとされる、禅宗寺院らしい豪快な佇まいの山門。

江戸時代初期に作られたとされる禅宗らしい豪快な山門をくぐり、いよいよ庭園へと向かいます。

歴史の重みをまとう本堂と、庭園へと続く客殿入口。

竹林寺庭園の見どころと鑑賞——西庭と北庭の対比

竹林寺庭園は、書院・客殿を囲むように配置された「池泉観賞式」と「池泉回遊式」が融合した国指定名勝です。書院の座敷に腰を下ろすと、目の前には対照的な美しさを持つ二つの庭が広がります。

■ 西庭:深山幽谷の静けさと苔の美

客殿の軒先までしっとりと広がる西庭。
深い静寂と木漏れ日のコントラストが美しい。

客殿の軒先まで深く食い込む西庭は、しっとりとした苔地とモミジの緑が印象的な、実に静謐な空間です。 ここは中国の名勝「廬山(ろざん)」と「鄱陽湖(はようこ)」の景観を見立てて作られたと伝えられており、額縁庭園として座敷から鑑賞することができます。

座敷の柱を額縁に見立てて鑑賞する西庭。
水面に浮かぶ『浮石』が絶妙な浮遊感を演出する。

西庭の池泉の中には石が微妙に沈めて据えられており、「浮石」と呼ばれ浮遊感を演出しています。また、柱の向こうには枯滝石組が造られていますが、滝と言っても非常に柔らかく緩やかに表現されているのが特徴です。

【鶴亀石組と江戸時代の改修痕】

亀石組みと鶴石組み

西庭には不老長寿を願う「鶴亀石組」が配されています。

  • 亀石組: 石橋を「頭」、その奥の築山全体を「甲羅」に見立てています。西庭の中でもこの石橋は非常に存在感があり、西庭らしく柔らかみのある石が使われています。
亀石組の『頭』にあたる石橋。
西庭ならではの柔らかみと存在感を放つ。
  • 鶴石組: 意匠として組み込まれていますが、実際の現場では改修の為か非常にわかりにくい。

また、建物沿いを見ると直線的な護岸が見られます。

建物沿いに見られる直線的な護岸。
江戸時代の大改修の痕跡が窺える。

このような自然界にはあり得ない直線的な護岸は、小堀遠州以降の江戸時代庭園に多く見られる特徴です。「鶴亀石組」の流行も室町~江戸時代以降であることから、西庭は夢窓国師の創建をベースにしつつも、江戸時代の大改修で多くの手が加えられています。ひとりの作庭者が造って終わりではなく、時代ごとの人々や庭師の想いが何重にも重ねられていく。庭とは、いわば空間そのものが歴史のキャンバスであり、人と自然の対話が途切れることなく受け継がれていく場所なのかもしれません。

【樹木医メモ】苔と樹冠が創り出す「微気象」の奇跡 西庭に美しく広がるスギゴケやヒノキゴケ。これほど見事な状態で維持されているのは、偶然ではありません。頭上の高木層(モミジなど)が絶妙な「木漏れ日(適度な遮光)」を作り、五台山がもたらす豊かな「地下水・湧水」の湿度が組み合わさることで、奇跡的な微気象(マイクロクライメイト)が保たれています。植物と地被植物が互いの環境を守り合う、小さな「森の生態系」の縮図がここにあります。

■ 北庭:五台山の自然と一体化したダイナミックな石組

山ごとの巨大な庭?

北庭に目を向けると、西庭とは全く違う豪快な世界が一目で飛び込んできます。

西庭とは打って変わって、豪快な石組が目に飛び込んでくる北庭の額縁風景。

北庭も建物と一体となった「額縁庭園」として鑑賞できますが、五台山の傾斜面をそのまま利用した明るく骨太な立体感が広がります。

どこまでが庭で、どこからが山の森か分からない。
五台山の自然と完全に一体化した壮大な借景

まさに夢窓国師の庭らしく、目の前の急な山が覆いかぶさってくるようなダイナミズムです。手前は人工の植栽ですが、後方の自然の森と一体化しており、「どこまでが庭で、どこからが山なのか」境界線が消えています。これぞまさに最高の「借景」と言えます。

また、巨石を組んだ石組も、どこまでが人間の手によるもので、どこからが元々そこにあった自然石なのか判別がつかないほど自然と融合しています。

無機質な石(ハード)を生きた木々の根(ソフト)が抱き込む。庭の寿命を延ばす最強の共犯関係。

【樹木医メモ①】ハード(石)とソフト(生きた根)の最強タッグ 北庭の斜面に力強く組まれた巨石群。よく観察すると、石と石の僅かな隙間に木々の根がしっかりと張り付き、自然の土留め(崩落防止)を果たしています。人間が配置した無機質な「石(ハード)」を、何十年、何百年という歳月をかけて「生きた根(ソフト)」が抱き込み、一体化していく。時間が経つほどに強度と風合いを増していくこの関係性は、人間が自然を力ずくでねじ伏せるのではなく、その理(ことわり)に自らの身を委ねることでしか生まれないもの。庭に向き合うときの姿勢そのものが、そのまま映し出されているようです。」

【樹木医メモ②】庭と原生林の「境界線を消す」郷土樹種の選定 庭内に配されたヤブツバキやモミジなどの樹木は、背後に広がる五台山の原生林(シイ、カシ、タブノキなど)と視線上で見事に連続しています。あえて派手な外来園芸種を使わず、その土地の風土に適した樹種(郷土樹種)のポテンシャルを理解して配置しているからこそ、人工の庭と山の自然の境目が自然に消え、無限の奥行きが生まれているのです。

【時代を超えて重ねられる庭】

北庭の奥へ続く、茶道(露地)の文化を感じさせる趣のある飛び石。

北庭の奥へ続く通路には、趣のある飛び石が打たれています。この飛び石は「お茶庭(露地)」を強く連想させるもので、夢窓疎石の豪快な石組が残る北庭においても、江戸時代に利休以降の茶道文化を取り入れて更新された部分だと推測できます。

庭というものは、決して一度作った作庭者だけのものではありません。時代ごとの権力者や名もなき庭師たちによって、想いが重ねられ、時代を超えて紡がれていくものなのです。

竹林寺庭園から読み解く「庭造りの真髄」

こうして西庭と北庭を歩き、石と木、そして時代ごとの手仕事が織りなす空間と向き合っていると、一つの疑問が浮かんできます。
なぜ、これほどまでに自然の理(ことわり)に寄り添い、計算し尽くされた静謐な空間が、この土佐の地に生まれたのでしょうか。
その解は、作庭の礎を築いた夢窓疎石(むそうそせき)という人物の生き方と、彼が求めた「修行のあり方」の中にありました。

■ 夢窓疎石にとっての「土佐」——室町禅宗庭園の試作の地

臨済宗の巨匠・夢窓疎石は、鎌倉末期の政治的喧騒から身を引くべく、都の手が届かない辺境の地・土佐への隠遁を決意しました。約2年半にわたる土佐での静かな坐禅修行は、彼の禅の境地をさらに深める重要な転換期となりました。

疎石にとって、庭造りは単なる空間装飾や娯楽ではなく、「自然の景観を用いて禅の境地を表現する修行の一環」でした。彼は土佐の荒々しくも豊かな自然(山生)と対峙し、「山水河木、悉皆成仏(自然そのものが仏の現れである)」という思想を、その土地の岩盤や樹木を使って立体化させたのです。

土佐で「自然美と禅説の融合」の手応えを得た疎石は、後に都へ呼び戻された際、その経験を結実させて歴史的名庭を完成させます。

  • 京都・苔寺(西芳寺庭園)
  • 京都・天龍寺庭園

つまり、竹林寺庭園は、夢窓疎石が京都で室町禅宗庭園の頂点を極める直前に、土佐の雄大な自然と対峙して生み出した「禅庭園の原点・試作の場」という、極めて重要な歴史的位置づけを持っています。

■ 庭造り(作庭)と鑑賞は、なぜ精神を磨く「道」なのか?

お茶は「茶道」、お花は「華道」、武士は「武士道」。庭造りもまた、表には出ずとも間違いなく「庭の道(作庭道)」と呼ぶべき深い精神修養の世界です。「庭造り自体が修行なのか、完成した庭を鑑賞するのが修行なのか」と問われることがありますが、禅においてはこれらは完全に表裏一体のひとつの営みです。

  • 作庭(動の修行): 自分のエゴ(「こう置いてやろう」という人間の欲)を捨て、石や木が「本来居たがっている場所」の声を聞いて手を動かす、命がけの身体的没入。
  • 鑑賞(静の修行): 完成した庭と対峙し、風にそよぐ葉(無常)と変わらぬ石組(不動)を通じて、己の内面と静かに対話する時間。

自分の内面を外の庭として表現する「作庭」と、外の庭を通して自分の内面を鏡のように照らし出す「鑑賞」。向きが違うだけで、通っている回路は全く同じです。かつての武士たちもまた、庭の石組に己の「不動心」を重ね合わせ、生死を覚悟する精神をここで養っていました。

結び:現代において私たちが日本庭園と向き合う意味

情報や時間に追われ、慌ただしく過ぎ去る現代社会において、私たちが日本庭園を訪れる意味とは何でしょうか。それは、単に日頃の疲れを癒やす「リフレッシュ」にとどまりません。

かつての作庭者や、この庭に身を置いた武士たちは、いつ訪れるか知れぬ死と隣り合わせの時代を生き、まさに「生々死々(せいせいしし)」の現実を突きつけられながら、己の心を整えるために庭と向き合っていました。彼らにとって庭造りや鑑賞は、命を削りながら精神を極める厳粛な「修行」そのものだったのです。

私達現代人は、誰もがすぐに自分の庭を造れるわけではありません。

しかし、先人たちが命を懸けて創り上げたこの空間に身を置き、ただ「綺麗だね」と眺めるだけでなく、己の心を整える修行のつもりでじっと庭と対峙してみる。

その「鑑賞」という行為を通じて、かつての作庭者たちが庭に込めた息遣いや、深い精神に、私たちは確かに触れることができます。

そこには数百年という時空を超えて、
かつて石を据え、命を削って修行に励んだ先人たちの息遣いが静かに重なり合う。
(『庭の道』の記憶)

夢窓疎石の庭

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